今を生きる男子学生の走り書き

メモ帳みたいな使い方で、適当に書いていきます。

「欲しい欲しい」「くれ。くれ。」と言ってただけだった疑惑

皆さんこんにちは。

 

私は大学4年のこの時期、卒業研究をするためにゼミ室に向かいますが、雰囲気に溶け込むことが出来ず退散するということが結構続いています。

 

 以前、座る位置について書いた記事があるのですが、物理的にまず溶け込めていません。

 

物理的なポジションは大事 - 今を生きる男子学生の走り書き

 

しかしここで言いたいのは、いじめられているのか? 周りの人が悪い人なのか?

 

 

これに関しては一切違う、とても人間性が優れているひとがほとんどだと答えます。

 

物理的に違和感のあるところに座ってる私に対して、たまーに話を振ってくれます。

 

もちろんそれにうまく答えようとして上手く返せないということが多いですが。

 

卒業研究というと、それまで積極的に研究室に来なかった人もこざるを得ません。

 

すると必然的に人口密度が高くなります。

 

以前から来なかった人というのはつまり要領がいい人が多く、周りの人とうまくコミュニケーションをとり、相手に助けてもらうのがうまいという人が多いです。

 

そんなわけで、ゼミ室の雰囲気としては結構がやがやしています。

 

そういった雰囲気の中、私は自分がそこにいることに耐え切れず、図書室に逃げ出したり、特に用事もないのに帰ったりしています。

 

 

「どうして周りの人と打ち解けることができないんだろう?」

 

大学に入ってずっと、こういったことを考えては悩んでいました。

 

結局、答えが出ることも改善することもできないまま3年が過ぎていきました。

 

気づけばもう4年、大学にいるのも半年もない。

 

こんな状況の中、最近感じたことがあります。

 

それは、「自分が与えてもらうことしか考えていなかったんじゃないのか?

 

ということです。

 

 

よく、

 

 

与えよ、さらば与えられん。」とか

 

まずは与えること。

 

 

みたいな言葉を聞いたことがありました。

 

あんまり啓発啓発っぽくしたくはないのですが、これまでの自分は全くその逆の「くれ。くれ。与えてくれ。」だったんじゃないのかって思ってきました。

 

それは単に同じ研究室の人だけでなく、先生に対してもです。

 

「先輩後輩なんて、単に生まれた年が少し違うだけの差だし・・・」と最近は考えていましたが、それでも先輩として頼ってくれる人もいるのは事実です。

 

何より私は、与えることもできるやつだと今の自分では思えるようになりました。

 

自分が与えてやれる分は、存分に与えていきたいなあと、思うこのごろでした。

 

 

 

周りの幸福が辛い

皆さんこんにちは。

 

最近、ゼミ室に行くのが辛く感じて来ました。

 

普段、コミュニケーションをとることを避けて来たため、喋らない人認定を受けている私に、ゼミ室で繰り広げられる会話に入り込むすきはありません。

 

もう辛いこと辛いこと。

 

もっとふざけたい。

 

もっとボケたい。

 

このキャラがわかってもらえないのは辛いことですが、わかってもらう努力を怠っていた私に、然るべき周囲の反応が出ているというだけです。

 

 

こういう時、「キャハハハ」と聞こえてくる周囲の声が、自分にとってはとても辛く感じます。

 

周囲の幸福が自分にとっては苦痛なのです。

 

もしかしたら、こういうことを感じる人がいるかもしれません。

 

私自身、こういうことを感じる機会が増えているような気がしますが、これはもちろん悪い傾向だと思います。

 

周囲の幸福を自分のことのように喜べるのが一番だとは思いますが、素直にそう思うことは今の私にはできません。

 

「周りの人は楽しそうなのに、どうして自分はこうも表現ができず、殻に閉じこもったままなのか。。。」

 

周りの楽しさと、自分の孤独さをくらべてしまっているのがそもそもの原因です。

 

こういった周囲の人と自分を比べることをやめていきたいと思います。

 

周囲の人と比べられないものを持つようにしていきたいな。