野に居るべし

ほぼメモ帳

ヨルシカのコピーバンドを観て思うこと

ヨルシカにはまっていて、最近でたアルバムがまた一つファンを増やすことにつながったと最近実感してて、Youtubeに曲をコピーとかカバーした動画がたくさん上がるようになった。

 

そして、ヨルシカの曲をバンドがコピーして演奏している動画を見ていて、なんだか違和感を感じることが多い。

 

なんでかなあとふと疑問に思った。

ヨルシカの曲作りで、n-bunaさんはヨルシカのスタイルは音楽が前にでる形で、そこで裏にいるn-bunaさんとか、suisさんとかの存在というか、姿みたいなものはどちらかというと曲より後ろ側なイメージとして聞いてほしいみたいなことを語っていたと思う。

(読み取り方が間違ってたらごめんなさい。)

 

音楽の聴き方は本当に人それぞれで、私の中ではこのヨルシカの曲を聴くときに、ギターを持っている人、マイクの前に立って体をくねらせながら歌うボーカル、ベーシスト、ピアノかキーボード担当、そういうなんか実体としての人間の演奏しているところを観ながら聞くというよりは、IpodIphoneで音楽を聞きながら、映像は自分の中にあるものが流れている。

 

自分の今の生活、懐かしい風景、ヨルシカを聞いている時は、そんなものが流れている。

 

だから、なんかヒトが歌っている姿、その周りにわらわらと人がいる姿を見るとなんか気持ち悪い感じというか、違和感を感じる。

 

もちろん、動画を上げている人たちは演奏もうまいし、歌も下手ってわけではないけど、なんかやっぱりヨルシカの音楽は小説を読んでいる時のような感覚がする。

 

自分の中で勝手にイメージが広がっていく感じがして、MVは好きだけど、コピーバンドが演奏しているのは、、、

 

ただ、「ギターで弾いてみた」とか、「ピアノで弾いてみた」とか、そういうのはなんかあんまり違和感を感じない。

 

ん~なんでかわかんないけど、顔が見えてくると、人が演奏していることを意識して、もう自分の中の映像として置き換えれなくなるのかもしれない。

 

まあ聞き方なんてそれぞれの自由だと思うけれど、ここまでコンセプトを大事にしていて、それを実感できる音楽はあんまりないと思う。