野に居るべし

ほぼメモ帳

近い考えでも別の結果になる

例えば、後輩の為を思い、できるだけ自分たちで考えさせてあげたいと思い、自分からは積極的に答えを教えようとはしないAさん。

 

対して、これはこれだよ? 正解はこれだよ? と、後輩に積極的に答えを教えるBさん。

 

どちらも、後輩の事を思ってその選択をしていると考えられます。

 

皆さんはどちらでしょうか?

 

 

この選択がどう影響を与えて来るかというと。

 

Aさんに対して

 

後輩「あの人は何も教えてくれない。頼りない。自分たちを嫌っている。Aさんは嫌いだ」

 

(ちょっと盛っている部分はあります。)

 

Bさんに対しては

 

後輩「あの人は僕(私)たちの面倒を見てくれている。あの人は優しいし、頼り甲斐がある人だ。」

 

こういう感じになります。

 

これはどういう場面かというと、実際に私がいる環境で起こっている現実です。

 

私がどちらなのかというと、Aさんです。

 

そもそも、Aの選択は行動とは言えないのではないか?

 

というのは置いといて、私は別に後輩のことが嫌いではありません。

 

むしろ、本当に分からない時には積極的に頼って欲しいのです。

 

しかし、心の中ではそうは思っていても、察しろと言っているようなもので、それは無理な話です。

 

私の中にもまだ、周りの人に察して欲しいという感覚があります。

 

言いたくないことでも言わないと人に伝わらないし、察しろなんて悪しき風習だと思っています。

 

ただ、あんまり言いたくないな…と思うこともあるので悩みどころです。

 

Bさんも実際にいて、嫉妬の感情はあるのですが、だからといってどうしようもありません。

 

私の場合、嫌われたくない為に不安が大きく、関わることから逃げている面があって、結局こういう結果が帰って来るのかなと思います。

 

表現の仕方で、プラスがマイナスになるなんて、寂しすぎるんですよね。