野に居るべし

ほぼメモ帳

私の周りに友人がいた時

皆さんこんにちは。

 

今日はちょっと論文発表会を観に行ってきました。

昨日も用事があり、一人で過ごす時間が取れていないんですが、個人的に興味があったので行きました。

雨ですごく寒くて、帰ってきて悪寒がして、意識もすこし朦朧気味ですが、この際倒れるまでは通常どおりの行動を続けていきたいです。

ただ、今日は外に出て数百メートル先のスーパーに行くこともちょっとできないので、ピザをデリバリーしようと思います。

 

さて、最近というか、ここ数年のことを振り返ってみて、どうしてこうも友達を作れなくなってしまったのか気になりました。

友達がいた! と自信を持って言えるのは中学生くらいです。

ただ、中学3年生はあまりいい思い出がなく、意識の中では中学2年生までということになります。

その時は、私はとても周りに気を配り、そしてそれを実際にやっているタイプでした。

例えば、誰かが黒板を消し忘れていたら、さっと消して、誰かのミスをなんの悪意もなく自然にカバーできていました。

中学3年生になって、そんな私は女子の1人から友達づてに告白をされ、1週間くらい先延ばしにしてそれをOKした記憶があります。

ただ、どちらもべらべらしゃべるタイプではなく、うまくお互いのことを伝えられないまま別々の高校に進学し、そして自然に消滅していきました。

誰だって、告白されたらうれしくなり、そして承認欲求が一時的に満たされます。

そして私の場合、抱いて伝えてもらった好意を裏切りたくなかったし、手放したくなくて、「これを言ったらどう思われるだろう。」ということばかり気にしていました。

 

アダルトチルドレンというのは、子供みたいな大人ではなく、大人になった時に必要以上に周囲に流されて自分の意見を言えなかったり、また体にも影響が出ている人のことを言います。

私もこれに該当し、安定した生活を送っている人からすれば「何をやらかすかわからないクラッシャー」くらいの認識なのでしょう。

意識が朦朧に加え、一人で忘年会のネタをやることになり、ネガティブの底を突き破っていますが、中学生のときには余裕というか、ゆとりがあったなと思います。

先のことを考えず、ただその日その日をどう適当に生きていくか。

学校や親の言うことを聞いておけば、それなりに安定した生活が遅れていたし、安易に非行にも走りはしなかった。

 

そんなこんなで、周りの期待に応えようとしてる自分がいて、その時は親切を周囲にふりまいていることで、輪の中にいる権利を得ていたのだなと思います。

今となっては、ただ何も言わず、ただ、周囲の意見にながされているだけなので、こうなるのも当然です。

どうしてこんなに他人に関心が持てないのか。

きっかけならたくさんあったでしょう。

友達だと思っていた人が、簡単に自分のもとから離れていき、社会的に優位なほうにつくのは当たり前で、それをされることはどうしようもないことで、自分もそうするべきではあると頭では考えています。

 

ただ、自分だけは特別だっていう思いが抜けないただのわがままな生命体かもしれませんが、まあもうどうでもいい。明日から会社だ。倒れたい。

死にかける直前までいけば、変えられるかもしれない。