野に居るべし

ほぼメモ帳

死を間近に感じるとき

amazarashiの歌「僕が死のうと思ったのは」

 

死は、アクション映画の壮絶な戦いとかエンディングにではなく、ふとした瞬間に感じられることもある。

 

表に出れる人というのは、表に出ることができる人で、それこそ死が間近にある、死を考えて生きているなんて人は表に出られることはないし、少ない。

 

もちろん、有名人が急に自殺することもあるが、そこには、表に出ない空白がある。

 

 

日曜日の朝、遅めに起床して、ラーメンを食べた。

 

その後、水が使えないのでココアをお湯で溶かし、2階の自室(物置部屋)に持って行く。

 

机に置いた後に腕がぶつかって、少し床にこぼれた。

 

 

すぐにティッシュを数枚引っ張り出し、床のココアを這いつくばって拭き取る。

 

この一連の動作をやっている時、不意に死を連想しました。

 

私はいま生きているが、この床に溢れたココアを拭き取っているだけではないかと。

 

特に、這いつくばるという行為と、これを世界の誰一人にも見られることなく、ただただ孤独に行っていること。

 

そういう自分を俯瞰して見てしまったこと。

 

最近、悩み事が増えたこと。

 

それらがこの瞬間に、押し寄せてくるというか、一気に頭に染み渡った感じがしました。

 

別に死というものが具体的に近くに感じることはできず、かと言って生も感じることができない。

 

この前何かの映画を観た時には、死を感じれないから生も感じれないんだろうなと思った記憶があります。

 

今は、ただただ空虚で、穴が空いたという表現が恐らくしっくりくる。

 

何気ない瞬間に、「ああ、死があるのか。」と思うものですね。

 

しばしば、人身事故の情報がTwitterに流れ、しばらくすると芸能人のお誕生日を祝うトレンド、流行りのウイルスなどの情報に溢れて、果てに小さく流れていく様は。

 

歴史の教科書を読んでいて、「昔はこんな愚かなこと、酷いことが当たり前のように行われていて、今では考えられないですよね。」みたいなこと、結局今も人間は変わっていない。

 

寝不足なのか、空虚に感じる。