野に居るべし

ほぼメモ帳

事実だけをかき集めて、変に曲げてとらえる必要はない。

みなさんこんにちは。

 

突然ですが、私はこの7年間くらい、初対面の人と接するときに

 

「私はこの人に嫌われている。」

 

という前提で関わるようにしていました。

 

元をたどれば、思春期の不安定な時期だとおもいます。

 

学校帰りに「自分はなんてダメな人間なんだ。」「だから部活でもうまくなれないし、注意されるし、試合では役に立たない。」

 

こういった自分ダメ出しを考えながら、田舎の田んぼ道を自転車こいで帰っていました。

 

自分へのジャブを丁寧に毎日繰り返していたおかげで、着実に自分の自尊心を傷つけ

ていくことに成功したことでしょう。

 

そうしてボロボロになっていった自尊心では、この大学生活を楽しく過ごすことなどできるはずがありませんでした。

 

 

大学の研究室に入って出会った先生を見ていると、「この人は目に見えることだけを考えるのだろうな。」とよく感じます。

 

どういうことかというと、「目に見えないどうでもいいことは考えない」ということです。

 

たとえば、相手の気持ち。

 

相手がどう思っているかなんて、自分には分かるはずがありません。

 

ましてや、自分のことを好きになってほしいなど、

 

自分がどうこうできることではなく、相手がどう思うか一択です。

 

 

アドラー心理学でも言われますが、課題の分離です。

 

自分のできることと、相手にできることがあり、相手にできることを自分が変えようと思っても、変えることはできないし、疲れるだけ。

 

もし中学生とか、高校生とか、大学生とか、若い人がいるなら、

 

自分のことをあえて自分で悪く言う必要がないということは、この一大学生が生きてきた中で得た知見です。 

 

周りの人に悪く言われる部分があるなら、それを認めてくれるグループも世の中にはあると思います。(ある程度のことなら。)

 

私の場合は、10いいことを言われると、「いやいや0.5くらいだよ」と受け止め、

 

-1のことを言われると、「そうだよね、-200だよね」って感じで、あえて自分を傷つけるようなことをやっていました。

 

まげて、あえて自分を傷つけるようなことは必要ありません。