自分は何がしたいのか、何になりたいのか。
そんなこと、その程度のことくらいと思う人もいれば、そんなもの別にないよという人もいるだろうと思う。
自分はどちらか。
なりたいものとかがはっきりわかって自覚できることはとても素晴らしいことだと思うけど、それは簡単なことではないし、みんながみんなそれを容易にできたりするものではないと思う。これは偏見なのかもしれない。
特に私は、それを言葉に出すことに詰まる。
周囲の人を想像してみて、私となにがどこが違うのか、違ったのかを考えてみる。
いろいろ思い当たるけれど、結局のところはわからない。
○○がやりたいということを具体的にかつはっきりと示せることは、軸があって、結果的にものごともスムーズに進むだろうと思う。
大学の就活の時に自己分析をしようみたいなことを言われ、自分の経歴などを洗い出し、経験などを振り返ってたりしていた。
そういう公式な出来事ではなくて、もっと自分の感情に近くて、身近な経験というものを振り返ってみると、少しセンシティブなことを考えたりする。
得てして、ネガティブにまず考えることで、あとの衝撃を抑えようという思考を常に持っていて、できるだけ期待しないことに努力し、マイナスな方向性で考えておこうという意識を持っていた。
ずぼらだし、整理好きなどではないが、完璧主義に近い思考も持っているんだと思う。
特に人間関係においては、友達のために自分の命をかけれるかなんてことを考えたうえで人間と関わらなければ、、、ということを考えていた時期もあった。
考え方が極端で、詰めが甘いと姉に言われたこともある。
自分の今の現状を実際に人に話したりすると、いろいろ詰めたことを聞かれ、「どうしてそうしたの?」みたいなことにうまく答えられない。
そうしようと思ったはっきりとした1つの理由があったわけではない。
そもそもあんまり考えていなかっただけなんだなとも思う。
こういうこともあるし、そういうこともあるし、そのうちこんなことを考えるようになって、こうしたいと思った。
そんなぼんやりとしたことしか言えず、自分でも全然考えていなかったんだなということを実感する。
あと、人と話さない時間がとても増えているので、口語でしゃべることがとても苦手になりつつある。
こうやって適当に文字をタイピングしていて、話の脈略もないので後から見返ることもあんまりない。
人に説明したり、話すのってすごく難しいと感じる。難しく考えているのかもしれない。
完璧を目指そうとしがちなのかもしれない。
極端な方向じゃなく、その間をとることができれば、もっとうまく生きれるのかもしれない。