野に居るべし

ほぼメモ帳

考えることを考える

Apexというバトルロワイアルゲームの大会が7/24に開催されていて、Youtubeで視聴していました。

 

「くろのわちー」というにじさんじ所属のバーチャルライバーチーム視点で見ていたのですが、ゲームを観ていてここまで高ぶったことはありませんでした。

https://www.youtube.com/watch?v=AuYPMEwaBQI

 

 

eSportsというものを初めて観ることができたと思います。

 

この大会では3ラウンドマッチで、総合得点で順位が決まるというものでした。

 

1ラウンド終了後に、プレーや動きについて戦略的な会議や反省会をしている最中、チームの一人(恐らく)少し責められているように感じてしまう...というシーンがありました。

 

客観的にみている限りでは、人格を否定したり、責めていたりするわけではなく、単純にどうすればよかったのかということについてお互いやり取りをしていました。

 

言い方がきつかったり、ということも客観的には感じはしなかったのですが、言われた本人にしてみると、少しきつく感じたのかもしれません。

 

外野から客観的にみているだけではそう見えましたが、当事者からしてみると責められているように感じてしまったのかもしれません。

 

私自身、部活をやっている最中には、「怒られる=人格を否定されている」ように感じてしまっていたため、非常に難しく感じます。

 

というか、うまいプレーヤー=人間性が優れている みたいなことをずっと言われていて、じゃあ下手な自分は、、、となってしまうのは当たり前だったと思います。

 

ここらへんの切り分けができているのとそうでないのでは結構違ってくるでしょうし、今でもあまりできていません。

 

もちろん、あえてそういう意図で質問や言葉を投げかけてくる人はいるでしょうが、今回のApex大会の配信では違ったように見えました。

 

山月記に「この気持ちはだれにもわからない。おれと同じ身の上になった者でなければ。」とあるように、人の気持ちなんて絶対にわからない。

 

自分の気持ちは人には絶対わからないということを最近強く実感しているし、そういうことについて考えています。

 

そういうことを考えれば考えるほど、じゃあ人に対してどういう言葉を使うべきなのかということがわからなくなってしまっています。

 

答えはないだろうし、できてる人の方が少ないだろうけど、そこらへんを考えずにというのもなんか嫌になる。

 

絶対に分かり合えないということを前提に生きていくしかないし、その中でストレスを少なくしながら生きていくようにしたいなと思います。

 

というか、言ってもないことを勝手にくみ取るというか、自分の中で勝手に発展させていくのってやっぱりよくない方向にいきがちだな、、、

 

そういう風に言われてきたし、育ってしまったというのはあるけれど、このゆがんだ受け取り方をどうにかしたい。