初対面の人たち(相手はみな見知った人)と一緒のところに置かれて、「はい、今から時間を設けるから自由に話してね」って言われて、うまく話せないのは自分が悪いのだろうか。
状況を文字に起こして考えてみると、お互いに全く何も知らない状態で自由に話してと言われて話せないのは別にそこまで悪くはないことだと思った。
そういう機会が人生では何回かあると思う。
友達の友達みたいな感じの人が集まっているところに、自分が呼ばれたとする。
そこで会話にうまく混ざることができるのは、かなりコミュニケーション能力が高い人間であって、普通のコミュニケーション能力以下の人は難しいと感じると思う。
自分はそういう部分でコミュニケーション能力は高いと思っていないから、特に自分のことを話すという点についてはかなり難しい。
自分のことを聞かれてもすぐに反応して答えを導き出すことができない。
普段から考えていないからこういう時に答えられないのか。
そういうことを思ったこともあるけれど、正解な部分もあるし違う部分もあると思う。
言葉を選びすぎる、それに尽きる。
何という言葉を返すのが正解か、それにとらわれてリアルタイムなコミュニケーションの制限時間ギリギリまで反応が遅れる。
昔はそれで考えているだけなのに、「あー無視された」みたいに言われてコミュニケーションがスキップされることがあった。
こちらとしては返しの言葉を考えているだけなのに、相手の中では会話のキャッチボールはすでに終わっている判定がなされる。
久々に人と近い距離で話をする機会だったから、余計に緊張するのは当たり前だし、初対面の人たちに向かって何を話せばいいのか分からなくなるのは当然のことだと思う。
今日そういうことがあって少し変な疲れ方をした。
仕事の内容も変わって、環境もまた大きく変わる。
ここ数年間は1人マンションの一室でずっと黙々と単純な作業を繰り返すというような仕事だった。
人と対面して話すという機会が全くなかったから、今日みたいなことがあって疲れるのは当然だ。
最初の方はうまくいかないことがより多いと思うけど、自分という人間わかってもらうためには短い期間では本当に無理だと思う。
最低でも3年くらいは多分一緒にいないと、自分ってこういう人なんだっていう感覚を持たれることって難しいと思う。
これまで3年以上一緒にいた人とは、基本的にはそれなりにコミュニケーションが取れるような間柄になっている気がする。
今日は周囲の人の反応を常に伺っているような感じだったから、またひどく疲れた。
それでも今日という1日をやりきったことは、良かったことだと思う。
まずは乗り越えられたこと、箱に注目して1つクエストを達成したというような気持ちでいていいと思った。
もう少し本格的に場所を変えるまで時間があるから、資格を取ったり本をたくさん読んだりもしたい。
あと耳鼻咽喉科を今度受診してみようかと思う。